いつ頃からプロ野球に興味を持ったんだろう。
友達との会話の中で、プロ野球が出てきた最も古い記憶は、
長嶋の引退だったか、高田のコンバートだったか・・・。
テレビで見たプロ野球で最も古い記憶は、阪神−巨人戦、
レフトフライで三塁ランナーのタッチアップの実況・・・
「張本の肩と田淵の足!」
記録によれば1976年頃らしい。
そんな少年時代の僕に強烈な印象を与えたのは阪神ではなく、
阪急ブレーブスの山口高志投手(阪神2軍投手コーチ)だった。
友達の誰もが巨人のユニフォームを着ていたのに、
僕は阪急のユニフォームを着て、その背中には背番号14があった。
思えば、友達とどの球団が好き、とか、今年のペナントレースは、とか、
そういう話をし始めたのは高校に入ってからのような気がする。
だから、それまで自分がどの球団が好きか、なんてことは考えていなかったかもしれない。
では、プロ野球に興味がなかったのか?
そんなことはなかった。ただ、当然のこととしてテレビでプロ野球を見て、
阪神がどうなったのか、気にしていた。
それが我が家の日常、常識だったからだ。
祖父、祖母、父、叔父、従兄弟・・・。
甲子園の歓声が試合経過を教えてくれる、そんな環境で生活してきた彼らのおかげで、
何の疑問もなく、
「プロ野球=阪神タイガース」
という公式は僕の中にしっかりと根付いていたらしい。
そんな僕の阪神熱が外に向かって爆発したのは、1983年。
阪神タイガースが21年ぶりに優勝する、その2年前だった。
それまでは、別に自分が阪神ファンであることを公言する必要もなかったし、圧倒的に巨人ファンが多い中で、無用な軋轢は避けたかった。
何より、巨人を声高に応援するのを耳にするのは、無性に不愉快だったからかもしれない。
そのとき、僕が真剣に応援していたのは、福間 納投手である。
彼は中継ぎ投手として69試合に登板。6勝4敗6S。
そして1302/3イニングスを投げ、防御率2.62で一位に輝いたのである。
僕は、ひたすら彼の投球回数が、規定に届くように願い、阪神にこんな渋い投手がいることを
友人達に教えてあげたかった(自慢したかった)。
そうして僕は、ついに阪神ファンとして周囲に認知されたのである。

それから僕は阪神ファンとしての自覚に目覚めたのかもしれない。でも、なぜか、阪神の話をしようとしても、なかなかうまく話せない。
それはまるで、川藤幸三の野球解説のように、情熱ばかりが空回り(?)する。
(アナウンサー)「川藤さん、川藤さんだったら、代打でこの場面、(相手投手の投球の)何を狙いますか?」
(解説;川藤氏)「わしゃぁいつもストレートしか狙いません。カーブが来たら空振りするだけのこっちゃ。そんなん怖がっとってはいかんです。」
僕はそんな川藤春団治が大好きだ。阪神のどこがいいとか、阪神野球の魅力だとか、
今年の戦力だとか、よくわからんです。
ただ、阪神タイガースが今シーズンも野球をし、ペナントレースを戦うから応援する。
ただそれだけのことなんだな。
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