天文9年(1540年。翌年とも言われる)に、尾張愛知郡中村に生まれる。後の豊臣秀吉の弟(異父弟(太閤素生記)とも、実弟とも言われる)。
幼い頃は、「小竹」と呼ばれていたようだが、当時の様子を記す資料はほとんどない。
永禄5年(1562年)、小物頭から百人足軽頭になった秀吉に清洲に連れ出され、木下小一郎と称し、その後、木下小一郎長秀(後に秀長)、羽柴秀長、豊臣秀長として、秀吉一門衆の中心として、また秀吉の片腕として、天下統一に影ながら大きな役割を担っていく。
晩年は、紀伊、和泉、大和に108万石の大大名として、従二位大納言、大和郡山城主に収まり、大和大納言と呼ばれる。
彼が病床に伏し、天正19年(1591年)に、享年51歳で没すると、豊臣政権ににわかに暗雲が立ちこめる。彼に代わる人材はいなかったのである。
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歴史群像シリーズ(30)・豪壮 秀吉軍団(発行;学研)
ビッグマン・スペシャル 歴史人物シリーズ3 豊臣秀吉(発行;世界文化社)
豊臣秀長(上・下) 堺屋太一 著(文春文庫)
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